Apeと交換で今度GPZ900Rがやって来るよ
親父からそんなことを聞いて、ひょんなことからやってきたGPZ900Rことニンジャ。
当時我が家にはApeがいて、ちょっとしたおもちゃとして存在していました。車庫の片隅に、週末エンジンをかけたり、ちょろっとメンテナンスしたり、自作のフェンダーレス化したりして楽しんでいました。
そんな中、親父の仕事先の人とバイクの話で盛り上がり、“大型バイクが欲しいんですよね~”なんて話したら“うちも小さいバイクが欲しいんですよね。もし良かったら交換しませんか?”ってな感じで話がまとまり、やって来ることに。
やってきた当時の写真はありませんが、バックステップ、あんこ抜きシート、直管爆音マフラー(デビル管)などなど、バリバリのサーキット仕様でやって来たのでした。
私はそのころ卒業ツーリングや卒業旅行、さらにはタイに行ったりと…人生の夏休みを謳歌すべく(笑)、色々と出ていることが多かったのであまり見れていませんが、仏壇カラーのアイツはいつの間にかやって来ていました。
名義変更のため、3月の終わりにニンジャの後ろを付いていくように陸運局へ。
SRX250を自分で登録した時以来だから懐かしかった。
これがその当時。
直管マフラーじゃ車検は通らないので、オークションで購入した国内用のマフラーを取り付けました。バックステップ、あんこ抜きシート…前のオーナーがサーキットで使用していた名残が残っています。
こうやってみるとSRX250がおもちゃのように見える…これが大型の迫力かーって思っていました。まさかこの数ヵ月後から自分が乗り回すようになるとは思ってもいませんでしたが…。
当時の私は中型免許しか持っていないので、当然乗れず。
さらに元々中型しか乗る予定しかなかったので、取る気もなかったのですが…せっかく乗れるバイクがあるのだから取るか と社会人になりたての少ない給料をかき集めて教習所に通うのでした。
当時は工場実習の真っただ中で、休みが全く取れない状態でした…(;´Д`)
毎日立ち仕事でのライン業務はかなり過酷でした。これが社会人というやつなのか…!と休日も死んだように寝ていた日々が続きました。
そんな過酷な日々も、工場実習が終わると段々と落ち着き始めます。夏休みで学生が増える前にと、7月に一気に通い8月に免許書き換えが終わりついに乗れるように!
改めて跨りあれこれ確認。教習車のCB750と比べると、重くて取り回しにかなり苦戦したのを覚えています。これを倒したら起こすのはめっちゃ大変だなーとか。。
とにかくパワフルでどこからでも力強い、荒々しいそのエンジンにおっかなびっくり乗っていました。
当時はエンジンの熱が暑い~とか感じている暇もなく、ただただしがみつきながら乗っていたような…。
それが初めてニンジャに乗った感想でした。
そんなこんなで始まったニンジャとの付き合いですが、SRX250と同じくらい色々な場所に連れて行ってもらいました。
お別れなので、訪れた場所を振り返ってみます。
初めて自分の運転で訪れた先は定番の箱根。同じくオフ車から4気筒ネイキッドに乗り替えた高校の友だちを誘って、お互いおっかなびっくりな状態で慣れない車体を右へ左へ走りました。
ブロ友である北塚ユウさんとご一緒に伊豆スカイラインへも行きました。雲の切れ目から見えた光のカーテンがきれいでした。
まだまだ寒い2月には伊豆半島、早咲きで有名な河津桜を見に。
■三浦半島
一眼レフを購入して、会社の同期であるTZR乗りと三浦半島へカメラの練習へも。
■ヤビツ峠
直線番長なんですが、ちょっとこういった小回りな峠は難しかったです…(;´∀`)
さらに初めて迎える夏は冷却水がガンガン上がり、エンジンを切る度に冷却ファンが回る始末。。
■箱根 乙女峠
会社の先輩とツーリング。周りが大型の最新鋭の中、かつての世界最速機は余裕の走りを見せてくれました。
■箱根峠
うっすらと白い霧が立ち込める中、箱根へ。段々と取扱いにも慣れてきました。
またもや霧が立ち込める西伊豆 仁科峠へ。スピードトリプルが軽くて、同じ大型なのに?とカルチャーショックを受けたことも…(;´∀`)笑
アクアラインを使って房総半島へ。北海道を思い出させてくれるような直線にも出会いました。
年が変わって新年の初走りは房総半島へ。この頃結構房総半島を走るのがブームだったかも。
当初はアップハンドル仕様でしたが、この時少しの間だけ純正に戻していました。
しかし型式A6の欧州仕様だったので、純正セパレートハンドルは欧州人の体格に合わせているためか少々遠い。なぜ他のニンジャ乗りがアップハンドルにするのかも分かりました。。
多分A6以降の国内モデルだとそんなことないと思うのですが…。
宇都宮に3ヶ月程出張に行った際に、バイク成分が足りな過ぎてニンジャを持ってきちゃいました。笑
その時足を伸ばして磐梯山まで連れて行ってもらいました。あの荒々しい景色は今でも忘れられない…!
磐梯山を下った時には虹がお出迎えしてくれました。
毎年訪れている信州へは志賀草津経由で。ニンジャでも国道最高地点に到達しました。
最終日は快晴の美ヶ原高原へ。アルプスの山々が美しかったです。
巷で噂の“バイク弁当”を食べるべく、埼玉 秩父方面へ。
この日はクラッチレリーズが壊れて大変でした…(^^;
■神奈川 湘南
どんよりとした湘南より。
梅雨の合間の晴れ間を狙って。天候に振り回された1日でした。
只見へ初上陸。真夏の緑と只見線の車両と。只見で33度だったかな…暑かった…(;´∀`)
六十里越を経由して新潟へ。スノーシェッドや洗い越しなど、豪雪地帯特有の山岳道路は面白かったです。
日本とは思えないような景色が広がる、毛無峠へ。かつての賑わいを見せた鉱山跡地が見せる景色は独特なものでした。。
紅葉を探しに滋賀 信楽方面へ。
帰りの新東名にて。この辺りから手放す話が出ていたので、ニンジャの走りをかみしめる旅となりました。
そして…最後となった箱根。ラストランにふさわしい快晴でした。
エンジンには転倒傷?のような削れた跡がありますが、乗っていた間は全くのノートラブル。
どこからでもトルクがあって、長い距離を走るのにはちょうど乗りやすかったです。
やる気にさせてくれるコックピットは、メーターが260km/hまで。実際何キロ出るのか…知りたいけど、多分あっちの世界にいっちゃいそうなのでできませんでした( ノД`)笑
DOHC 16-VALVEと刻まれたエンジン。世界最速という頂点を獲るために作られたこのバイクは、時に速く、時にゆっくりと景色を楽しむ走りにも対応してくれました。私はどちらかと言うと景色を楽しみつつ、ゆっくりと走る派なのですが、そういった運転でも楽しむことができました。
夏場は特にこのエンジンか発せられる熱に散々苦しめられましたが…(;´∀`)
車検対策で戻した国内用純正マフラー。2本出しのスタイルのリアビューはかっこいい。今では随分と細く見られるリア18インチのタイヤと良いバランス。
やってきた当時からフェンダーレス。そのおかげでリアビューがすっきりしていたので、結構お気に入りでした。旅バイクとしても優秀なニンジャは、ツーリングフック、ヘルメットロックが2個着いているので旅をする際にはとても重宝しました。
カウルは風を切り裂くようなエッジの効いたデザイン。私はこのデザインが好きで、どこから見てもカッコ良いと思います。
今でも多くのニンジャが走っていますが、何年経っても色褪せないデザインにはついつい目で追ってしまいます。
お別れの理由は乗る機会が少なくなって来たことと、取り回しに苦労することが多くなってきたことだと言っていました。
乗りだしてしまえば軽い車体も、降りると鉄の塊…重い…!ちょっと乗る時や停車位置も少し気を使う必要があります。多分倒してしまったら起こすのはかなり大変…。。
自分で取り回せないとなると何かあった時に苦労しますし…。
私は実家に戻った時や長距離走る時に借りていましたが、毎月活躍するわけでもありません。もちろん毎週エンジンはかけていますが、親父もあまり乗らなくなったこともあり手放すことを決意。
やっぱり取り回しが重いと一度感じてしまうと、乗るのすら億劫になってしまいますしね。。私が所有することも一案あったのですが、アパートの駐輪場に雨ざらしで置いておけばいつの日か不調になってしまいます。
実家に置いておくより状態が悪くなるのは目に見えていますし、SRX250があるとなるとたまーにしか乗ってあげれない…そう考えると、やっぱりバイクにも良くないですし…。
ただバイクに乗れなくなったわけではなく、むしろまだまだ乗るようなので、最期にもう少し気軽に乗れるバイクを探し、次の相棒を見つけたため手放すことになりました。
やっぱりバイクは走るモノであって、走らせてくれるオーナーの元にいた方が幸せかなーって。いつまでも所有していても、動かさないと不調になってしまうでしょうし。。
そんなことがあり、我が家の長距離スプリンター ニンジャは手元を離れることとなりました。
今でもニンジャと言えばこのバイクが真っ先に浮かびます。最近のカワサキ車はニンジャブランドがよく使われていますが、やっぱり自分の中ではこのバイクこそがニンジャだなーって思います。
そんな名車と呼ばれるニンジャに、偶然ですが乗ることが出来てとても幸せでした。
我が家にやってきた4年間、大型の楽しさを教えてくれた初めてのバイクでした。もちろん取り回しの難しさや冷却水漏れ、オイル漏れなど…マイナーなトラブルこそありましたが、それも含めてお気に入りの1台です。
大型免許に出会わせてくれたのもコイツで、色々と影響を受けてきたなーって今でもよく思います。
大きな車体、エッジの効いたカウル、すぐにオーバーヒート気味になるエンジン、今でも街中で見かけるとずっと目で追ってしまうほど、洗礼されたデザイン…全て含めて最高の1台でした。
こうやって振り返ってみると、たくさんの場所に連れていってくれたニンジャには感謝の言葉しか出てきません。
さよなら というよりは、感謝の言葉を伝えて締めくくろうと思います。
たくさんの想い出をありがとう!
おわり
コメント
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こんばんは。
ニンジャとお別れしちゃいましたか。。。
自分も軽いDTばっか乗っていると、DTは、2stでそこそこ早いし、オールラウンダーだし、これ1台でいいかな?なんて、時たま思っちゃう事もあります。
でも、ニンジャに乗っちゃうと、25年前に、欲しくて欲しくて買った当時を思い出し、やっぱニンジャだよな〜と、一人にんまりしています。(笑)
長く乗っていると色々な出会いと別れがありますので、思い出の1ページに記憶してあげてください!
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とらとらさん
こんにちは。
ニンジャとお別れしてしまいました。いつも実家の車庫にいた、でかい仏壇カラーがいないと寂しく思います。。
やはり軽い車両に乗った後だと余計に重さは感じてしまいます。取り回しの時はある意味筋トレ…よく押し掛けやったりしたなぁと我ながらに思います。。笑
ただそれも含めて愛着があり、見ているだけでもニヤニヤしてしまう…それがニンジャでした。
雑誌や休憩所で眺めているだけの存在だったのに、まさか自分の手元にやって来るとは思ってもいませんでした。
そんなニンジャが名車と呼ばれている理由、少しだけですが分かれたような気がします。
初めての大型バイクがニンジャで色々と経験しましたが、全部ひっくるめて最高の1台でした(^^)
とらとらさんのメンテナンス記やツーリングの写真を見て、ニンジャに乗ろう!
と思わせてくれることも多々ありました。ありがとうございます^^
これからはニンジャが出てくる写真を見て、乗っていた当時を思い出してニヤニヤしてしまいそうです…!